西洋の「覆う建築」とは 壁を造り屋内と屋外を峻別し、そしてその壁に窓を穿つ。
対して、 日本の木造建築はこの柱と梁が生みだした「気配がつくる建築」です。 人のまわりに気配が生まれるように、柱のまわりにも柱の気配がうまれるのです。日本人はこの気配に敏感です。 「間」とは複数の柱が寄り添った時に夫々の気配が重なり合って生まれる充実した空間です。それぞれの柱が放つ「気」が「間」を形成するのです。 日本の家に「居間」とか「寝間」とか「客間」とか「茶の間」という名前が付けられたのもこの「間」という感覚があったからです。
部屋は英語で「ROOM」です、これはからっぽという意味をもっています。「ルーム」とは空いたところであって詰まったところではないのです。それに対して「間」にはいっぱいの気配が詰まっています。
襖や明かり障子で仮に区切られただけの連続的なつながり、そこに敷かれた畳の上では家具なしですごすことができるのです。布団を敷けば寝間に、座布団を敷けば客間に変化する家具のない室内です。履物を脱いで入る日本の家屋は、それ自体が大きな家具だったということができるのです。日本建築の室内はがらんどうではない、いっぱい詰まった充実した空間だったのです
日本の家の畳は椅子の高さと同じ45センチ程です。日本の家で履物を脱いで上がる畳の間は椅子の上と同じなのです。畳敷きの日本の空間は西洋の部屋と同じではなくそこにある「椅子」と同じ存在なのです。
がらんどうな西洋の部屋でも家具があれば居場所ができます。安心してほっとすることが出来るのです。
椅子は荒野の旅人が見つけた一本の枯れ木のようにそこに宿を取ることの出来る落ち着いた、居心地のいい空間をつくります。椅子は気配の建築だったのです。
日本の家がそれ自体、家具であり椅子だったように、椅子も又、気配の建築であり、日本の家と同じだったのです。